あなたの夢は何ですか?
それがどんなバカげたことでも、
大げさで到底無理そうなことでも、
堅実過ぎてつまらないことでも。
夢を語れるひとがうらやましかった。
僕はといえば、将来の夢なんてずっとなかった。
学生時代のいろいろなタイミングで書かされる、
いちばん難しい課題だった。
部活、勉強、恋愛。
何かに一途に夢中になり、
ときには涙を流し、
それでもあきらめない。
そんな同級生のすがたは、
非常にまぶしかった。
僕には何もなかった。
中途半端に好きだった音楽の道も、
両親や親戚の大反対をひっくり返すほどの意志はなく、
学校というものが大嫌いだった僕は、
なんとなくITを始める。
なんでもよかったのだ。
さっさと就職して、それなりの生活ができればよかった。
社会に出てもやはり僕には将来の夢はなかった。
自分の余暇を削ってまで、
プログラミングを極める気もさらさらない。
ITはただの生活費を稼ぐための手段。
職場環境が嫌なら、すぐ会社を変えた。
長かったのは3年勤めた会社が最長である。
今でもやはり、何かを極める、
一筋で生きるひとはとてもまぶしく見える。
なんでそこまで、命を削れるのか。
ストイックすぎる、とドン引きするときもある。
僕はといえば、もう40歳になるまでに半年を切ったというのに。
やはり夢はない。
点数を付けるなら、
何をやっても40点から60点。
それは自分自身がいちばんよく知っているけれど、
それ以上、極められない。がんばれない。
そんな自分の奔放で無責任な生き方がうらやましいと言われる。
あなたはなんでもできるから。
これしかできないから、ツブシが効かなくて、将来が不安だ。
隣の芝生は青い、とはよく言ったものだ。
学生時代にキラキラまぶしかった彼、彼女らは、
どこかに行ってしまった。
同窓会も4人から10人しか顔を出さなくなった。
有名人、著名人どころか、生きているのかさえもわからないひともいる。
あの日の夢は叶ったのだろうか。
知るすべはない。
時代も変革のときを迎えている。
なんの夢もない。
甲斐性のない。
中途半端で軸のない。
おカネもない。
人脈もなければ、友だちもさほどいない。
特別、夢もこだわりもなかった僕にとって、
生活様式を変えることなど、
何の痛みも苦しみもないのではないか。
人生は茶番である。
何がプラスになるのかわかったものではない。
がんばっても、がんばっても。
報われないことのほうが多い。
夢があり、才能にあふれたひとが、
突然、スイッチが切れたように、この世を去ったりもする。
僕も僕なりに、そのときやるべきことをやり、
理不尽に耐えていた。
それが何のためだったのか。
例えば、ちょっといいごはんを食べようとか。
友だちと旅行に行くからとか。
新しいスニーカーが欲しいからとか。
そんな日常の小さな願いを叶えるためだったとするなら。
それもまた、小さな夢を持っていたと言えるかもしれない。
夢の大小でひとの価値は測れない。
誰でも何かすぐれた部分はあるらしい。
こんな僕でもうらやましいと思うひとがいるらしい。
一途でストイックなあのひとにも悩みがたくさんあるらしい。
小学生のころ、将来の夢が書けなくて、
いい子でいられなくて、
学校が大嫌いだった僕も、
やっと赦してあげられそうだ。
僕の人生はそろそろエンディングも考えなくては、
とも思う。
それよりも、甥っ子姪っ子がどんな道を歩むのか。
たのしみであり、心配でもある。
少なくとも、僕の進路選択のときのような、
大反対する親戚にはなりたくない。
背中を押してあげたい。
子どもが身近にいる大人のひと、まわりのひとには、
子どもの可能性をつぶさないであげてほしい。
どこにでも行けるし、
何を選んでも間違いではないことを伝えてあげてほしい。
そのために、いろいろな経験をさせてあげてほしい。
それは、大きな夢のなかった僕だからわかる痛み。