ネガティブを言葉にすること

私は弱音も愚痴も怒りも、言葉にしていいと考えている。

言霊というのはあって、
きっと、ポジティブな発信はポジティブを呼ぶし、
ネガティブは現実になったりするんだと思う。

ただ、過去に出逢ったひとに、
ポジティブ以外はすべて自分の悪だ。
そこまでのスタンスでコミュニティを構築し、
私や周りにも、それを押し付けるような出来事があった。

すると周りは、
ポジティブを演じ始める。
心が壊れてしまいそうなときの「がんばれ」ほど、
残酷なものはない。

私は自分をどうしようもない人間だなと、
落ち込むし、卑屈になることがよくある。

そんなときの救いは、
何も言わず、そっと隣で一緒に体育座りをしながら、
陽が落ちていくのを見てくれるひとだろう。

雨上がりの空の気持ちよさをみんな知っているはず。

ポジティブもネガティブも、
自分の本当の気持ちだ。

自分の弱さとちゃんと向き合う。
言葉に出せる。
認めてあげられる。
それは、とても人間らしくて、強い。

人間らしいひとは愛おしい。